「黎明期にコワーキングスペース創って潰して、大企業のコワーキング運営に関わって、卒業してこれから」ーあるいはキングとココの近況ー

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コミュニティとビジネス

この記事は「コワーキングスペース運営者限定アドベントカレンダー Advent Calendar 2017」の7日目(12/7)の参加エントリーとなります。

願わくば、誰かの糧に

この投稿は、2010年からコワーキングスペースに関わった人間が、これまでの総括として記載します。施設なり、コミュニティなり、人材育成なり、新規事業開発をするなりするときに、誰かの役に立てば幸いです

大分長いのでそれぞれ必要な部分に応じて、一部分だけでもご覧いただければ幸いです。

目次

立場の明確化 

プロフィール

広瀬眞之介

・株式会社遭遇設計(旧:小石川) 代表取締役

・事業創造コンサルタント

・産業カウンセラー

「カウンセリング・クリエイト・コミュニティ・コール」の”4つのC”を使い、人材育成・事業創造・メンタルヘルス支援などを行う。

2009年、ソーシャルメディア上でお米を売る「トラ男」のアドバイザー。

2011年、“猫のいる”協働オフィス「初代ネコワーキング」を開設。

2014年、都知事選解説スライド「正直過ぎる家入さん」がバズり16万ビュー。 

2016年、「研修用 うつ病体感カードゲーム “ウツ会議”」を開発。

2017年、専門学校生が実際に利益を上げる授業を実施。クラス10人で100万突破。

同、 東京大学と共同開発したカードゲーム「カウンセリングの極意」「ジョブクラフティング」を発売。

など、イノベーティブなコンセプト/サービスづくりの実績多数。 

代表作

ネコワーキング

日本で10数番目のコワーキングスペース。「ネコに良いは、人間にとっても良い。」をコンセプトに開業。

都知事選解説スライド「家入さんは他の候補者の凄さを無効化する」

2014年の都知事選に立候補した家入さんに便乗して、市民参加を解説するスライド。まじめな政治ネタにも関わらず、16万PV。

1万以上のリツイート・シェアなど。

そのままやや炎上芸も行うことを含めて、一人で全てをこなす。

ちなみに投稿時点で家入さんとは面識なし。(これが縁で何度かお会いする)

https://www.slideshare.net/slideshow/embed_code/key/bFZYtFQZFM0ZIj

ウツ会議

企業内でのメンタルヘルス改善を進めるためのカードゲームを使った研修。

http://www.utukaigi.com/

ゲームから資料まで全て自社開発。

NHKおはよう日本、日経ムックなどにも取り上げられる。

コワーキングスペース運営に関する広瀬の経歴

2011年11月11日 ネコワーキングを開業。

2013年1月末 経営不振のため、事業譲渡。

(その後、譲渡された会社も運営をやめる)

2014年4月〜 三井不動産の運営する「Clipニホンバシ」の運営に関わる。

2016年4月〜 ClipニホンバシとKOILが統合され31Venturesに。       

同時に「KOIL」の運営にも関わる。

2017年7月末 31Venturesの運営業務を離れる。

2017年12月現在 自分の事業をバリバリ頑張る。

コワーキングスペース運営における広瀬の立場

現在はただの利用ユーザーです。あるいはただのコミュニティ応援団です。Clipニホンバシによく居ます。

運営者としては7Fの星野さんと並ぶ過激派?ファイターです。ネットワークビジネスやらカルト宗教やらは躊躇なく追い出します。

それだけでなく、意見の相違も辞さないタイプなので、良く炎上っぽいやり取りはよく発生します。

コワーキングスペースの運営に関してはやりきったという思いが強く、待って頂いている方には大変申し訳無いのですが、今コワーキングスペースの運営を再度行う気持ちは今のところありません。

コワーキング創設以前に参加したコミュニティ

ペンションHB

広瀬家(祖母と叔父)が経営していた山梨県山中湖村のペンション。家族経営な雰囲気。寝室が寝るスペースしかないため、リラックスしたり交流するには共同のリビングスペースに行くしかないというやや不便なペンション。

にも関わらず、最盛期にはリピートや常連が多かったです。祖母の独特なキャラクターが絶妙。ファンも多かった。

アットホームな雰囲気で、クリスマスパーティーが開かれたりしていました。お客さんも参加して、特に追加料金もありません。

ただ泊まりにきただけのお客さんが、友人がいっぱい増えて帰っていきます。その雰囲気が好きな人にはたまらなく、何度もリピートされていました。

私達の家族は、夏休みなど長期休暇中に泊まり続けながら、親族として手伝っていました。子供の私に出来ることはベッドメーキングの枕シーツ入替えか、共同リビングスペースでひたすらお客さんと話していました。

広くないスペースでかつ、子供を警戒する大人は少ないので、一緒に遊んだり、話したり、子供同士で世話したり。

ネコワーキングのイメージに一番近かったのは、こちらかもしれません。

地域活性

大学一年の時に、地元文京区の再開発問題を調査したことをキッカケに地域に関わるようになりました。当時、なぜか地域に惹かれて色々な活動をしました。

1.文京区の再開発問題の調査 → 地域SNSの卒論

2.福島県会津地方にて、地域の人になりきる旅(グリーンツーリズム)を企画・運営。(二年間で11市町村に、17ツアーをつくり、参加者は数十人。報告書は350ページを超える)

3.地域SNSの事業開発4.地域とITを結ぶ活動(移住支援を含む)

地域内外で、人をつなぐという活動も良くしていました。

大船渡の漁業存続のため、名もない漁師(ヒーロー)が 単身東京(江戸川橋)に売りに来るhttp://blog.livedoor.jp/sinpost2-labo/archives/3106015.html

文京区 地蔵通り商店街 「テラコヤ」「子供のたまり場 準備室」https://sites.google.com/site/jizoterakoya/ga

デジハリ田舎実験室https://www.slideshare.net/sinpost2/20101221-6270369

デジタルハリウッド大学大学院 共同研究室

大学修了後、地域サイト事業を実現したくそのまま専門職社会人大学院「デジタルハリウッド大学大学院」に進学。ITと、経営と一度に学べるので効率が良いと考えていました。

当時、構造改革特区で二年目だったので、何もかも整備されていない状態。定期を買うにも窓口で「そんな学校ありません!」と拒否される始末。(文科省が認めたきちんとした大学だったにも関わらず。)

なので、当時の学生達(と言っても9割は社会人)と、事務員と、先生達は、みんな濃い付き合いをしていた。

助け合わざるをえない状況でしたし、何よりデジタルハリウッド大学という名前に先駆者として入る勢いの良さは共通していました。

中でも研究室が個別になく共同だったのがよかった。どの研究室で何が行われているか?を、割とざっくり聞ける環境。院生はみな同じ場所に溜まるので、つなぎも楽々にしていました。

今思えば、私がこの研究室で行っていたことは、コミュニティマネージャーか、コワーキングオーナーのようなことだったと思います。

ラボカフェ

東京大学本郷キャンパス近くに、東大生のためのコミュニティカフェがあります。

当時は、紹介されないと絶対に入れないような場所にあり、東京大学の中でも活動もアクティブにしている人達のたまり場でした。http://lab-cafe.net/page/

こちらで出会った杉本さんに多大な影響を受けます。彼は、当時26歳の学生でしたが、とてもそうとは思えない実績と活動でした。

・場というもので何が出来るのか?

・場がないとどういう事になるのか?

・場を運営するとはどういうことか?

・場で何を成すのか?

彼はその後東京大学の技術を使ったベンチャーを取締役として興しました。大きな会社とも組み、大きな資金も調達しながら活躍されています。

私が尊敬する人であり、モデルにするコミュニティ・場です。

https://bizzine.jp/article/detail/1204

ネコワーキング

コワーキングスペースという言葉に触れたのは2009年ごろでした。その後、日本でまだ数個しかなかったコワーキングスペースを訪ね歩いて、ビデオインタビューを行い、2011年11月11日にネコワーキングを開きます。

https://www.slideshare.net/slideshow/embed_code/key/4DWADsFBcTXibV

ネコワーキングのイメージフォト

(このパソコン内になかった、、後に追加します。)

ネコワーキングの設立理由

ネコワーキングを創った理由はいくつかあります。もっとも大きな理由は、新しいもの、新しいソリューションを生み出すため、出会いと人間関係をつくることです。

2011年の311を意識しています。311が起きて、日本国内の様々な問題にスポットがあたるようになりました。そのどれもが複雑で他の分野と絡み合っています。

原発も、地域活性も、複雑な問題過ぎて単体のプレーヤーでは解決出来ない。多くの職種の人達が協力して取り組むことが大事だと気づきます。

全く違う分野の人達が協力して問題に取り組むことを「多職種連携」といいます。

これは地域医療などの分野ではよく言われますし、精神医療でも「もはや医者単体でうつ病のサポートなど出来ない。多くの職種の人達と協力してやったほうが安くて、早くて、楽に出来る。」という事が言われています。(これはやがてウツ会議というサービスにもつながります)

そうしたチームが機能するには、根底に人間関係があった方が良いということで、そうした多職種連携チームを生み出すことを目的の1つとして、ネコワーキングは生まれました。

2012年のコワーキングカンファレンスにて登壇した時に今と全く同じことを言っています。 https://togetter.com/li/322487

これは後に「弱い紐帯」「弱いつながり」という言葉で語られるようになります。 https://bnl.media/2017/05/iriyama.html

ネコワーキングが出来たこと

ネコワーキングでは「ネコ好き」が集まりました。職業も、組織も、階層も、別々の人達です。

  • うつ病にて休職中の人、 /
  • 深夜徘徊というイベントをしている人(彼はいまメディアに引っ張りだこですw) /
  • だんご3兄弟のプロデューサー /
  • コンサルタント /
  • 経産省の官僚の方 /
  • 起業したい人 /
  • 地域の人 /
  • 現代アート作家 /
  • 東京大学の准教授 /
  • カメラマン /
  • ハンディキャッパー /
  • チーマー / 
  • 無職 /
  • 放浪者 /
  • 起業家 / 
  • 研修講師 /
  • メーカーエンジニア

などなど

でも、この人達にはネコが好きという共通項目ある。キングとココ(ネコワーキングに居た猫2匹)が動くと、みんなで「きゃわわわ!」とか言い始める。

そうすると、コミュニケーションしやすい環境が生まれ、勝手に話し始める。

ぜんぜん違う分野の人達を集めたい。だけど、「色んな人来ていいよ!」って言っても誰も来ない。そこに「猫」というシンボルがいると、いろんな人が集まれる。繋がれる。それが、ネコワーキングにおけるネコの役割でした。

更にネコワーキングは、イノベーションを標榜するようなコワーキングスペースと少し違う人の集め方をしていました。

優秀な人達を集まるのではなく、人間性の良い人達だけ集めて、課題を解決する人も課題を持っている人も集める。

起業家「うつ病の人向けのビジネス作りたいけど、ヒアリングに行かなきゃ。」

広瀬「いや、その人そこに居るよ。○○さーん。」

企業の新規事業担当「LGBT向けのサービスを作りたい。調査しなきゃ。」

広瀬「いや、その人あっちに居るし、○○さーん。」

というつなぎをしていました。

つまり、ネコワーキングには問題の解決者と、問題の当事者を集める事で、さくさく、新規事業やビジネスを作ることが大事な目的だったのです。

ネコワーキングで一番偉いのはネコ!コンセプトを貫くと信頼される。

ちなみにネコワーキングの設計に一番、忠実だったのが私です。設立者の私より、猫のほうが偉い。猫がすべての決定権を持っているというルールでした。

だって、ネコワーキングは「ネコにとって良い空間は、人間にとっても良い。」がコンセプトですから。実際、下記のようなお断りをしていました。

来訪者「ネコワーキングイベントで使いたいんですが、さすがに猫はゲストやお客さんに失礼かもしれないので、檻に閉まってもらっていいですか?」

広瀬「え?おたくの会社では、ゲストが来るようなイベントで社長を檻に閉じ込めるのですか? そんな事しませんよ。だったらお断りです。お帰りください。」とか、

利用者「ネコワーキング24Hやってくれない?帰るのだるい。」

広瀬「いや、ネコにも休憩させたいので、絶対に24h制にしませんよ。」利用者「たしかに。じゃぁ、しょうがないや。」

でも、ここまで徹底していたら利用者から信頼頂けるようになりました。

「広瀬は目先の金とかでは動かない。信念で動く。」

これはネコワーキングで作りたかった「弱い紐帯かつ、問題の当事者も話せるコミュニティにする」という意味では、非常に良かったです。必要な活動でした。逆に言えば、ネコワーキングにおけるオーナー広瀬の役割は、信頼し合える人間関係を作るために、まず最初に信頼される人間になり、来場者の情報を集め、つなぎ続けることでした。

ネコワーキングで実際に行われていた会話の一部。本質的な話がしたかった。めんどくさい話をしたかった。

ストーリー例1

私がネコワーキングにいた頃、一人の中年女性がこれから地域活性の活動をしたいと目を輝かせていました。

話しているうちの、会員のKさんが話に混ざってくれた。

あちこちの地域で活動し続けてる超強者。泥臭すぎる現場も多いです。

彼が「いやー、地域活性で人は死ぬからね〜。」と言い出した。

その女性はびっくりしつつ、冗談でしょ。って顔をした。

彼女の目からはキラキラした輝きは消えた。

私はこれからやるって人に「さすがにそれは言い過ぎだ」と思ったが、話は続く続く。

権力争いや、大きな金が動いているような現場は、綺麗な話なんかでは到底終わらない。

ドロドロのぐちゃぐちゃな人間関係。田舎の濃厚な人間関係そのまま。あるいはそれ以上。

かなり強烈な体験だったと思う。

でも、これはこれで良かったのではないかと思う。

一番ひどい場合は、そこまでなる。

それを知っておいた上で、それでもやるかどうか決めたらいい。と思った。

その女性は半年以上たった、今も地域で活動している。

その後ネコワーキングに何度も来てくれた。ぜひ、望みを叶えて欲しい。

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ストーリー例2

これまたネコワーキングにいた時ですが、インターンしたいという学生が来ました。

彼女は「何か寝食忘れてのめり込むものが欲しい。

 学生生活はなぁなぁで過ごしている。自分を変えたい。」だそう。

起業とか、地域活性とか、社会起業とか憧れるそうです。

しかし、メリットの話ばかりだと思い、デメリットの話をしました。

「私の事を、すごいと言ってくれたけど、

 これは綺麗な感情で、必死なんじゃないんだよ。

 私の後ろにはね。”背後霊みたいなの”が居て、 

 こいつが常に「地域」「地域活性」「文京区」「地元好きだろ」 

 って言い続けているの。 

 (例えなので、スピリチュアルな話ではありません) 

だから、地域の事考え続けちゃうし、 必死にやり続ける。 

うつ病になろうが、稼ぎが悪かろうが、借金しようが、 

断れれ続けようが、やり続けちゃう。  

(ネコワーキングに居た一人を示しつつ、) あそこに居るYさんはね、 

障害者の就職採用支援をしている社会起業家ってメディアも取り上げる人。 

だけど、彼の後ろにも背後霊みたいなのが居るんだよ。 

妹さんが知的障害者で、 

「妹の幸せ」「障害者の幸せ」「障害者が生き生き」「妹生き生き」 って事を言われ続けているの。 

だから、超必死になって、彼も学生時代からこんなことやり続けているんだよ。 

こういうのを”呪い”っていう言い方をする人もいるよ。 

まぁ、名前は何でもいいんだけど、 使命とは違う。 そんなにキラキラしてない。 

もっと泥臭くさくて、黒くて、グロい感じ。 

でね、ここからが大事なんだけど、 

この背後霊みたいなのを着けることは出来るの。 

「ぺちょっ」って感じで。 

私がアドバイスした学生で、2人は地域で起業している。 

もちろんスピリチュアルじゃない。 

具体的な方法は インタビューの手法を教えて、 

現場で本気でやっている人達に会って話を聞きまくってもらう。 

そうすると、 「あの人の手伝いをしたい」とか、 

「自分もやらなきゃ」とか、 「困っているあの人をたすけなきゃ」とか そんな気になる。 

それを繰り返すと背後霊の出来上がり。 

数ヶ月単位の時間がかかるけど、すげー難しいわけではない。 

毎日毎日、「農家はどうした?」「シャッター街どうする?」 とか言い続けてくれるから 

もう必死でやり続けるよ。 

でも、これはどこまでが教育で、どこからが洗脳か。 

ちょっと悩む。 

洗脳したいわけじゃない。 

だから、デメリットも伝えた上でやるか否か?訊くんだけど 

どうする? 

背後霊いる?」という説明をしました。

その学生からは、お断りのメールを後日頂きました。それでよかったと思う。

事業廃業

しかし、経営は全く上手く行っていませんでした。少しずつ体も精神も蝕まれていきます。

ある日、目が滲んでパソコン・スマホが見ることが出来なくなりました。ドライアイのひどい状態だったのです。パソコン・スマホが見えないという事は、仕事の大部分がストップしました。

「ああ、もう頑張ってもどうにもならないんだ。。 気合とか、志とか、思いとか、そういうのでカバーできない範囲なんだ。 俺は力不足だったんだ。」

私は事業を閉じる決意をしました。しかし、ここで非常に困ったことが起きます。

「事業の潰し方」の情報がどこにもない、、

ネットで調べても、神保町の巨大本屋・本屋街に行っても、「どうやって事業を潰すべきなのか?」

そうした情報が全くと言っていいほどありません。「失敗学による事業失敗事例集」や、「おもしろおかしな物語としての失業談」はありました。

しかし、今まさに事業を閉じようとする人が

  • 何を気をつけるべきなのか?
  • 借入金や貸主にはどうすべきなのか?
  • 利用者はどうするべきなのか?
  • 誰から話をすべきなのか?
  • 何を話して、何を話してはいけないのか?
  • 潰した後はどうなるのか?

など、潰すための実践的な話、ノウハウ集がありませんでした。

特になかったのは、お客さんをどうするか?という話です。あるのは、お金を借りた人、出資をしてくれた人、家族との関係などが多かったです。

「いやいや、うちはコミュニティとしてやってきたつもりだし、お客さんはこんな訳のわからないものにお金を払って参加してくれた恩人達。その人達にどうすべきか?ってなんでどこにも書いていないの??」

私は、困り果ててしまいました。混乱している頭にちらつくのは、「夜逃げ屋本舗」です。昔、ドラマでちょっとだけ見たある日突然店に張り紙がしてある映像。。それしかないのか??と思いつつ、この時の精神状態ではまともな思考が出来ず、限られた時間・思考能力で、何をすべきか。よくわかりませんでした。

その時に思い出した記事がありました。
それが「倒産覚悟の経営のすすめ」です。

学生時代に地域サイトを作るために相談に行った初代世田谷ものづくり学校の校長。
その場で事業を全否定され、アドバイスを無視して自分でやったらまさにアドバイス通りで失敗。

三年後に謝罪に行った結果、なぜか仲良くさせて頂いています。

130億で会社を潰し、30億の個人債務を背負い、それでも社員と取引先を守った化物に相談に行く

貪るようにサイトを記事を読み直した私は松村さんに電話します。

広瀬「相談事があるから、すぐお会いしたい。」

松村「おれ、明日から陸前高田なんだけど。」

広瀬「10分でいいから会ってもらえないか。」

広瀬の必死な言葉に何かを感じ取ってか、忙しい中ご飯を食べながらの30分を頂きました。

会ってすぐ、事業をたたむことを検討していること。その理由をお伝えし、事業譲渡の可能性があるかを伺いました。

しかし、こんなに小さな会社・事業で、赤字の会社を買うのは想像しにくい。無理だろうと言う話でした。

さてはて、どうしたら良いのだろう?とまた振り出しに戻ったところで松村さんから「いま、何がしたい?」と問われました。

「今いるの利用者達がネコワーキングを何とか続けられないか?と真剣に考えてくれたら死んでもいい。」
「もちろん、みんなが経営して残してくれたら嬉しいが、そこまでするのは大変だから負わせたくはない。」
「ネコワーキングは、俺程度の経営者が運営したから上手くいかなかった。
 出来る限り借金をして、目が見えなくなるくらい働き詰めて、でも上手くいかなった。
 広瀬眞之介は出し切ってしまった。
 だけど、あそこはあった方がいい場所だと思う。」

「どうやったら、残せるか。
 あそこは何が良かったのか?を真剣に考えてくれたらもう死んでいい。」

それを聞いた松村さんは強面の顔を初めてニヤっとさせて「面白い。それやろう。」と言いました。

私は、何が面白くて、何をやるのか?
さっぱりわからず、目を白黒させて話を聞きます。

「「倒産をする」という会議をしよう。 

そして、ここをどうするのか?という話をみんなでしよう。 

広瀬くんが言ったように真剣に考えてもらおう。

それは、凄く面白い。 

やるなら俺が司会をする。(ニヤ)」

こうして、世にも奇妙な「これから潰れます。どうします? 利用者会議」が開かれました。

ネコワーキング終了前の「利用者説明会”明縁会”」

経営を断念し、利用者の方々に送った説明会開催の文章全文

12月2日メール

件名:【重要】【連絡・お詫び】広瀬は1月末にネコワーキングの経営を辞めます。

本文:皆様(ネコワーキング会員と、 半日店長などお力添え頂いた皆様にメールしております。)お世話になっております。

ネコワーキングの広瀬眞之介です。1月下旬を以ってネコワーキングの経営を辞めます。このままであれば、1月20日頃ネコワーキングを終了します。大変申し訳ございません。

経営を辞める理由は大きく2つ

1,赤字続き(残りの資金も撤退費用ギリギリ足りないくらい)

2,広瀬の体調が悪く、これまでのように働けない。先々週の土曜日に目を痛めたのですが、それ以前から体調を崩しており、ここ2−3ヶ月はマトモな思考が出来ておりません。
目を悪くした際、数日パソコンを見ることが出来ず、仕事や作業が出来ない状態でした。
今も以前よりPC閲覧時間が1/3程度に減りました。このまま経営を続行すると、どこかで倒れ、対応をする機会ないまま、辞めざるをえないという最悪の状況になると判断し、まだ、少し余力がある内に経営を辞めようと決めました。

ただ、不動産管理会社などにこの旨伝えた所、出来るなら残して欲しいと言って頂きました。数字を見た上での判断がなされるのですが、家賃の減額や、利用者による自治の道も残っております。

私が経営を辞める中で、大変心苦しいのですが、本当に望む方々がいるのであれば、ネコワーキングはコワーキングとしての形態ではなくても、残った方がいいと思っています。

キングとココの行き場は、基本的に広瀬が引き取るのつもりですが、ネコワーキングが残るなら、ネコもその場の方が、幸せだと思いますので、その場合はネコワーキングに居るままにします。

ただし、こちらはあくまで広瀬の案です。皆様に諮って、どうするのが良いかを一緒に考えたいです。

また、広瀬はいずれにせよ1月以降、これまでのような経営は行いません。体力的な休養(うつ病)を数ヶ月取ったと、この場を通して実感した圧倒的な力不足を、勤めながら5年以上は修行しようと思っております。借入をしている銀行にも相談しておりますが、最悪一括返済を要求される可能性があり、まだまだ流動的な部分がございます。

今後の対応や、チケットの残り、登記の移転、経営状態、借金の残額などは、

<<利用者説明会「明縁(めいえん)会議」>>にて説明し、その内容を随時、皆様に共有して参ります。
(お越しになれなくても情報は全てメールなどで共有します。)

こちらは定期的に開催しつつ、記録を残します。コミュニティ(縁)の明日を考える会として、名づけました。

第一回「明縁(めいえん)会議」 12月4日 19時半〜 ネコワーキングこの会議の発言権はネコワーキングの会員か、オープニングや半日店長などボランティア頂いた方などに限ります。

(数人)聞きつけて来る人がいてもOKですが、発言権はありません。基本的にどの方にも平等に同時に情報が伝わる形でおこないます。

このメールを受けての質問は受け付けますが、お答えは明縁会議を通してお答えし、その結果をメールなどを通してお伝えしようと思います。既に決めている料金プランだけ下記にお伝えします。

<料金プランについて>

12月から新たにチケットは購入できないようにし、2時間500円、1日1000円の現金払いという形にします。(非会員は2時間750円、1日1500円)残りのチケットはコワーキング利用だけでなく、貸し切りなどにもご利用頂けます。月会費は12月までの引き落としを最後にして、1月分は引き落としを行いません。(1月は最終日も決まっていないため)

<最後に>

ネコワーキングを何とか続けたいと思い、経営して参りましたが、当初予想していたような形では維持できないことが明白となり、私の体調不良と合わせて1月で経営を辞めます。利用者の皆様、お力添え頂いた皆様には、本当に申し訳ないです。

が、何よりもまずいのは、以前私が倒れた時のように、全く何もできなくって倒産することと考え、今の時点での決断としました。利用者の皆様に誠心誠意を尽くすことが、ここでの最後の仕事だと考えています。

包み隠さず、皆様にお話し、今の状況をお伝えして、何が出来ず、何が出来るのか。疑問に思われていることを全て答えます。

ご利用頂いて本当にありがとうございました。ご期待に添えないことをお詫び申し上げます。そして、最後までどうかよろしくお願いします。

ネコワーキング オーナー広瀬眞之介

コワーキングスペース倒産 利用者説明会の様子 一部文字起こし

松村さんのアドバイスと広瀬のお願い(文字起こし)

松村さんより

・今日は広瀬君のボディーガードで来た。(一同笑い)

・広瀬君が相談に来たのは、先週で。ネコワーキング作る時も相談に来た

・僕も1999年に会社を潰した。売上150億、従業員100人。借入130億。 個人債務30億残った。まだあるが、昨年10年で時効した。

・会社が潰れたからって、自己破産しなかった。

・2代目社長だった。自分は居なくても良かった。

・会社が潰れるときに、ヤル気が出た。会社内に誰も潰したことやったことない。

・他の役員が「大丈夫」と最後まで言っていた。

・世間の会社の99%はそう。いきなり張り紙を貼ったかもしれない。

・もしかしたら広瀬もそうかもしれなかった。

・存続しようとしていたが、(病気ふくめ)自分が野垂れ死ぬと迷惑さんざんかけて終わる。

・なんとか、自分が居なくても出来るギリギリが今日だった。

・不動産屋、銀行に根回しし始めた。

・みんなに迷惑かけないようにして、手紙書いて土下座したかも。

・なんかぼくを思い出して、相談に来た。

・で、広瀬君がどうしたいのか?って聞いた?

・ここはネコワーキングって空間で、みんなが起業や独立する場だから、 「なんだ広瀬だめじゃん。じゃあいっちょみんなでやるかー」って言われるのが夢です。

・70人強も会員がいたら、色んな人が居る。

・全然お客さんの人もいれば、広瀬ファンの人いれば、利用しようって人もいる。

・で、広瀬君の思いは、ぶっちゃけるとそういうことだよね。

・伝えたいのは、この会議でどこが大事かを伝えたい。

・なんか、債権者会議みたいじゃん。って。

・そう、債権者会議です。

・自分もそれをやった、それをやって10億ぐらい踏み倒したが、次の日から仕事した。

・1社だけ付き合ってくださらなかったが、 3ヶ月分手形がきえたけど、明日から払うんだろうな? しょうがねーなーって言われて、明日から仕事なくなるよりはやってくれた。

ものごとはちゃんと終われば、そのあとちゃんと始まる。

・で、広瀬君にもそんな話をした。

・広瀬は一回とりあえず、だめになって、出家して反省するって書いてある。

・でも、本当はここが頑張って残れば、回復も早いだろうし、

・週三回くらい呼びつければいいと思う。

・だったら、もう銀行とかほどほどにして、

・すぐ、会員に説明すべきだ。といって広瀬もここを開いた。

・150%ディスクローズして、

・最悪でもこうなると書いてある。楽観書いてもしょうがない。

・会社が潰れる時は清算貸借対照表をつくったりする。

・この資料はそれに当たる。

・など、実質債権者会議です。

・この借金は会社から?だけどどうせ個人補償。逃げられない。

・なので、広瀬君ははっきり言っていま死にそうな状況です。

・で、可哀想だなと思って、いい気味だなぁと思ってもいいけど、

・こうやって、広瀬くんはさらけ出しているので、

・見捨てる人は見捨てていいけど、

・広瀬君が好きで集まった人は、 次の飲み会やって、誘ってなんて冷たいこと言わず、

・広瀬が何を目指しているのかをぜひ聞いて、 そのために、広瀬はやってきた。

・広瀬が失敗したと言っているのは、 おい、おまえ大変じゃんって、すぐ議論を始めてくれた人がいる。

・広瀬はそれを嬉しいと言っていた。 本当にそれがなかったら、債権者会議で終わった。

・ああいう申し出があった人達も、まだ白紙。 なんとかできるかもしれないし、そうでないかもしれない。

・でも、まだ広瀬は生きている。 広瀬が立って話しているのを見ると、あと何日もつかって見てるようにも見える。

・今日は広瀬を地獄の二丁目にして、明日から登れるようにしたい。

・足りないなら、今日落とすだけ落とす。

・なので、広瀬くんもちゃんとそれを言いな。

広瀬

・松村さんに言われるまで、忘れていました。

・てんてこ舞いだったし、この資料つくるのも苦しかったし。(泣)、、

・自分に魅力を感じてくれて、居てくれる人は本当に嬉しいし、 いろんな所に魅力を感じて来てくれる人達も本当に嬉しい。

・だけど、あんまり言わないけど、 自分はうつ病で、今の人生はボーナスだと思っています。

・妻が居なかったら、とっくに死んでいた。

・自分の中では、自分がいつ消えるかわからないと思ってやっています。

・自分が出来るうちはやる。

・今回は運良く目を悪くした。

・強制的に作業ができない環境だった。

・だけど、うつ病の正統的な症状がずっと続いていたら、

・今も気づかなかったかも。

・で、ある日突然、死んでいたかも。

・本当にたまたま松村さんの記事を思い出して、

・会って欲しいと頼んだ。

・「広瀬がいなくなったら、あそこに行かなくなったね。」 で終わらないかったら嬉しい。

・もちろん、義理立てしたり、言われたからという気持ちでやる必要はない。 そういう思いだけでは続かない。

・自分がつなげたり、何か整えたりしていたのは、 別にぼくじゃなくてもできると思う。

 やろうと思えば、皆さんできるし、勝手にそうやってここを使ってくれてもいい。

・ネコワーキングに居て、一番得したのは自分だ。

・ある会員さんは「こういう場所は長い釣り」だと仰っていた。

・長くここにいると、一年に1回くらい本当にすごい人に会えるかもしれない。と。

・自分はそれで4人ぐらいの人にであえている。

・そういう風に勝手につかってくれてもいいし。

・ぼくのすごい勝手なエゴイスティックな望みは、 皆さんがここで何かをやり続けることです。

・義理立てしてやってもつづかないから、それでやる必要はないし、 やってくれないから、薄情って思うことも全然ないし、 だけど、誰かが何かやってくれたら、 それはもしかしたらこの場所でやらくてもいいかも知れないけど、 嬉しいです。

ご意見「広瀬が3万円払える人を10人集めたら?」

・残したい人は10人勝手に集めればいいと思う。

・皆さんがやればいいと思う。

・ぼくは、もうやりきった。あとは皆さんがどうしたいか?だと思う。

ご意見「私達は会員になった人間からみると、ネコも広瀬も空間も、広瀬フィルターで集まった人もセット。」「広瀬が居てもいなくてもいいかはいきなりは言えない。何が必要かというと全部必要。広瀬が抜けたら成立していないと思う。」

・わかるし、ありがたい。

ご意見「自分が居なくても他の人が出来るというのは、言わないで欲しい。」

・自分は他の人と違う感覚と違うのですが、現実として、そういう別れはある。

・今は幸せだ。

・・がんの人も幸せと言われる。

・・別れが言えるから。

・ぱっといなくなっている可能性もあった。

ご意見「広瀬がやったそのままはもちろん出来ない。」

・広義の意味では、出来ると思う。

・別物になるが、それはそれでいいと思う。

ご意見「そしたら、別物だから、広瀬は心配しなくていいし、広瀬なしで話しちゃう。」

ご意見「広瀬さんじゃないと出来ないものはあるって来ている。」

松村さん「いま、面白い話になっている。」

じゃあ、ネコワーキング入るときに広瀬はそれを言ったら入れてくれたか?
「広瀬さんいきゃ、ぼく嫌です。」「広瀬さんあってのここですー。」
どう?

広瀬「いれないでしょうね。」

松村さん

そう、そういうこと。考えたことあります?

そんなやつ「お断り」なんです。

・本当によく考えて欲しいんです。

・例えば、広瀬さんの身になってみようとか。

・なんでこの会やっているかっていうと みんな起業しているだから(広瀬注釈:フリーも、仕事以外で活動しているも) いつでもこの立場になりうる。

・いつまでぶる下がっているんだ。 って、本当はラーメン屋で広瀬くんが言っていた。

・でもそう思うんだったら、広瀬が答えるのを待っていないで、黙っているっていうのは相当ダメだと思う。

・広瀬くんは生きているだけで本当に御の字で、 血みどろになって倒れていたかも知れない。 

・みんなと出会ったタイミングも、僕とあったタイミングも、いろんなこと、自分が目悪くなったこと感謝している。

ぼく、すごくよく分かる。

・まぁ、はい。色んな人が色んな意見を言って下さい。

ご意見「どこまでやるか決めたいですよね。」

別の方のご意見「逆にどこまで、やりたいですか?」

・・(続いたが省略)

ネコワーキングが事業譲渡できた

様々な方々のご協力により、ネコワーキングは事業譲渡という形で存続する形となりました。下記はその時にお送りしたメールです。

1月5日メール

件名:【重要】【連絡・お詫び】広瀬は1月末にネコワーキングの経営を辞めます。

本文:

ネコワーキングに関わりのある皆様(ネコワーキング会員と、 半日店長などお力添え頂いた皆様にメールしております。)(BCCでの連絡まことに申し訳ございません。 振り分ける体力もなく、ご容赦下さい。)あけましておめでとうございます。

ネコワーキングオーナーの広瀬眞之介です。すでにお伝えしているように、広瀬はオーナーを一月末で辞任します。その後について、決まりましたのでご連絡致します。

前回お伝えした時点では、会員の中で受け皿会社を創ろうとして下さった倉橋さん達の案と、併せて事業譲渡を検討して下さる会社も探しておりました。

・・・(中略)事業譲渡先のお知らせとその移行方法について・・・

<< 情報秘匿のお願い >>

1月9日にプレスリリースを出します。それまでは・広瀬オーナーの引退・事業譲渡については口外されないようお願い申しあげます。

<< 広瀬の体調についてのお願い >>

1月末までであれば、1日14時間労働のままいけるかと思っておりました。しかし、現時点で体調面がだいぶ厳しい状況となっております。お願いとなり恐縮ですが、以下の事にご協力頂けると助かります。

・店番(3時間ぐらいでも助かります)
・頼んだことの返信が遅い場合はリマインドを入れる調子が悪いから許して欲しいというわけではありません。皆様に何らかのご迷惑をかける前に予防したく、お伝えします。

<< 御礼 >>

最終的に(軽い検討も含めて)全部で4社が、事業譲渡を検討してくださいました。アドバイス頂いた方からは漏れなく全員から、事業譲渡は「難しい」と伺っておりましたので、これは私が一番驚いております。時間がなく、年始年末を挟む最悪の時期にも関わらず、本当にありがとうございました。また事業譲渡を検討頂いた方々だけでなくこの場の存続のために協力頂いた皆様にも御礼申し上げます。

広瀬眞之介

ネコワーキングが経営的に失敗したのはなぜか?

交流・対話・出会いを生み出したかった。しかし、金になるのは仕事場としての支払いだった。

結果、やりたい事をやると儲からない。儲かることをするとやりたかったことと違う。という状態に陥りました。

イベントをして、人が集まるという形もありますが、それでは私がしたかったことと微妙に違います。

私がしたかったのは、

・不意の出会い。偶然の出会いです。

・関心事外のものと出会える。そんな場です。

私はお金が儲けたくて事業を始めたわけではなく、やりたい事をやるために、様々なBETをしているので、事業として回ってもそれがやりたい事じゃないなら、一体何のためにやるのか?という前提が崩れます。

広瀬がやりたい事は、交流場であり、仕事場ではなかったのです。そして、それが故に事業として成り立たつ形に出来なかったのです。

ネコワーキングにみる「コミュニティの閉じ方」

真摯に正直に誠実に。それが信用やその後の仕事を決める。

コミュニティは創始者や運営者だけでは成り立たないです。ここを支えてくれるのはコミュニティの参加者達です。その人達が出来るだけよい形を作りたいと思いました。それが非常に良かったです。

私はネコワーキングは閉じましたが、ネコワーキングに関わってくれた人やコワーキングスペース運営者の皆様から、その後お声がけや仕事をもらうことがよくありました。

事業廃業という状態でも、逃げずに真摯に向き合った事が評価され、ビジネスとしては失敗しましたが、その後の仕事につながっていきました。

辛い時にどうするか?どうしたか?を人はかなり信用します。ピンチは辛いし大変だけど、そこでどう振る舞うかでその後のビジネスや信用に直結すると思います。

結局、私にとってピンチは私の人間性を理解してもらう上でのチャンスになったのです。

みんなで決める。参加してもらう余地を作る。

私が一方的に決めたのでは、コミュニティの構成メンバーは納得しにくいし、参加感が得られません。参加の余地があることで、皆さんとぶつかれたなぁと思いますし、後悔がありません。

終わりの前に、会える時間を増やす。

最後の打ち上げはもちろんやりましたが、その日に至るまで一週間毎日打ち上げをしました。静かに別れを告げたい人もいるだろうし、最後の日では来れないという人もいる。

なので、出来るだけお会い出来るよう毎日毎日打ち上げをしました。

きちんと終えれば、きちんと始まる。

日本の良くないところは役割を終えた組織や団体がいつまでもゾンビのように生きていることだと思っています。それは周りの迷惑になるのはもちろんのこと、当事者たちの成長を阻害します。

役目を担えなかった、叶えられなかった、終えたのなら、それはちゃんと辞める。意思を持って辞めるべきだと思っていました。

なので、私はネコワーキングを終了した後、(出来ただろうけど)そうした同窓会の類などは一切開きませんでしたし、ネコワーキングに関わってくれた人のFacebookグループも、基本的に全く参加しませんでした。挙句の果てには、そのグループの投稿が半年なかったので、閉じようと言い出す始末です。

きちんと辞めると思えば、できるだけの事をしたくなります。そして、私はそれをやりきったので後悔がありません。できなかった部分は自分の力不足と素直に認めることが出来ました。なので、次の活動がしやすかったと思います。

ネコワーキングは広瀬にとってどんな場所だったのか?

「ネコワーキングは癒やしの空間だったんですよね。いいなぁー。」と仰って頂く事があります。でも私にとっては強烈に厳しい修行の場でした。

それは、経営が難しかったことだけでなく、人と人が深い部分でぶつかりあったからです。

そして、私に対して苦言を言い続けてくれた「7人の化物」がいました。とにかく本質的で、思い切りがよくて、私のことをバシバシ切る。彼らが、ネコワーキングに来ると私は胃がキリキリしてしょうがなかった。

ネコワーキングが潰れるずっとまえに警告を出してくれていたけど、私にはそれを上手く受け取って、対策することが出来なかった。

彼らには参加の場は必要なかった。その前から、勝手にネコワーキングを支えるために影に日向に動いてくれていたのです。実は、明縁会をする前に彼らはとっくに動いていて、それでも広瀬は方向転換を頑なに拒否し、事業をたたむこともしないので、広瀬が特攻するのを静かに見守ってくれていました。

本当にありがたかった。

彼らのお陰で、相当に私は成長できたと思います。もちろん、今でも会うのは緊張するし、胃もキュってするのだけど、ずっと心のなかに置いておきたい人達です。この人達に会えただけで、ネコワーキングを借金してやった意味がありました。

ネコワーキング後、コミュニティスペースの利用者に

ネコワーキングを失い、体調を整えるために休養しながら、参加者としてコミュニティに入っていきました。

みらい館大明(要町)

http://www.toshima.ne.jp/~taimei/

池袋駅と要町駅の間に廃校を利用した地域のコミュニティ施設があります。それがみらい館大明です。こちらは、行政が運営にタッチしておらず、地域の人達が自分達で組織(NPO)を設立して、自分達だけで経営し、専従スタッフを7人雇っているという稀有な場所です。

こちらに先程書いた7人の化物の一人、劇作家の岸井大輔さんが私を呼びます。月一回「作業日というアートイベントをやるから、カフェマスターをしない?」

特にお金の話もありませんでしたが、私は世話になっていたし、何か考えがあるだろうと思って、二つ返事で「はい。」と答えました。それからもう4−5年、毎月イベントを開催し続けております。 色々失った私に機会を下さった方々に感謝。

ちなみに、こちらの裏目的は「若者の自殺をなくす」なのですが、それについてはまた別の機会に話します。

リトルトーキョー(虎ノ門)

greenz.jpさんと、日本仕事百貨のシゴトヒトさんが、創っていたコミュニティ施設です。ここは、施設を「都市」と見立てて、

・ダウンタウン / 

・新しい肩書を名乗れる / 

・市民 / 

・議会

といった風に都市に見立てた仕組みで運営されていました。

カルトが来たのをみんなで追い出しながら(補足:魅力的な場所であればあるほど、ネットワークビジネスやカルトなど搾取を目的とした奴らがやって来ます。)

それぞれが新しい取り組みに障壁低くトライ出来るのが魅力的な場所でした。

ちなみにここで私はタロット占いを少しずつやって、今では商売としてお金を頂いてやっています。

ここで出会った2人とウツ会議の開発し始めました。

Clipニホンバシ

http://www.31ventures.jp/column/story-03/

http://www.31ventures.jp/column/09/

スタートアップウィークエンドというイベントのメンター同士として44田寮の赤木さんに出会います。

コワーキングスペースをおなじ時期に立ち上げていたので会ったことはないけど、お互いに何となく知っていると言う関係でした。

赤木さんは三井不動産と組んでオープンイノベーションスペースの運営をしており、この時出会った事が縁となりclipニホンバシに講演を頼まれます。

行ってみると、clipニホンバシが結構変なバランスの上に成り立っているのが面白くて居つくように成りました。

常連としている内に、ネコワーキンと同じように勝手に人をつなぎまくります。お金ももらっていないのにwでも、それをする人が一番情報が集まるという事を私は理解していたからです。その内に、お声がけいただき、運営メンバーの一人になりました。(現在は、運営メンバーを抜けてまたただのいち会員に戻りました。)

大手企業の新規事業担当者に常駐コンサルタティングとして、一緒に頭を捻り、ベンチャーやフリーランスの人達のビジネスを応援し、コンテンツや人に出会うためのイベントを毎月やり、ひたすら我武者羅に走り続けてました。赤木さん、近藤ナオさん、藤代さんの仕事のクオリティに触れ、こちらでもひたすら這いつくばり、鍛えて頂きました。 

運営しながらベンチャーと、老舗と、大手が組めるなら、良いものが生まれそうだという予感に気づきます。

ネコワーキングを辞めて、ベンチャーが社会に対して影響力を持つのはかなり大変。と思い知らされました。でも、世の中は新規事業作ろう!作ろう!という気質が高まっている。大きな企業まで言いだしている。経験値がないから、全然わかっていない。これうまく役割分担できたら、新しいものや新しいサービスができやすくなるかも。そう思って、Clipニホンバシにコミットさせて頂きました。

また、コミュニティマネージャーという役割を、日本の大手企業内に新設できたのは、良かったと思っています。今では特に目新しい言葉ではないですが、コミュニティに価値があると、レガシィな企業も認めるというのは広める上で非常に大事だと思ってました。

力不足だったところも多々あるけど、それは、今度自身がベンチャーとして大きく成長することで恩に報いようと思います。

KOIL

KOILはつくばエクスプレスの「柏の葉キャンパス駅」にある柏の葉 オープン イノベーション ラボ です。柏の葉キャンパス自体は新しい駅で、元々三井不動産のゴルフ場があっただけだったそうな。

そこに路線が通って駅ができるとなり、大きく再開発するようにしたそうです。

ちなみに、三井不動産の中に地域名を冠した部署は当時3つしかありませんでした。三井家ゆかりの地「日本橋部」オリンピックで活気づく「豊洲部」そして、「柏の葉部」です。(現在は、ミッドタウン、日比谷、五反田などの部もあるようです)

これは、三井不動産が相当に強い意欲で、柏の葉キャンパスの開発を推進している事がわかります。ここでの得られた知見を海外の街づくりなどに輸出することを想定しているとのこと。実際海外の賞を獲得しており、海外からの視察は絶えません。

なので、ここは外部の人にはわかりづらいかもしれませんが、三井不動産にとって凄く大事な場所なのです。さて、そんな柏の葉キャンパスは、いわゆる郊外型ニュータウンです。これまでの郊外の事例や反省を踏まえて、

<ここに仕事を作る、もっと言えば産業を創る。>ということを標榜しています。

それが一つの理由として、コワーキングスペース「KOIL」が設置されています。Clipニホンバシとは全く違うコワーキングスペースです。こちらには週一回木曜日に伺いました。

新興地域に引越してきた人が多く、通勤数分と言う人がザラに居ます。

完全なる職住近接。

なので、働く人=住民という状態なので、かなりコミットの高いコミュニティになっています。依頼されるまでは、遠いから嫌だなーと思っていましたが、通うようになってからは木曜は楽しみの日でもありました。

<コワーキングスペースにまつわる議論>
コワーキングスペース = コミュニティ? 
コワーキング = コミュニティ?

はーい!火をつけたのは私ですw 何故火をつけたのか? 私の問題意識をここに書きます。

コワーキングスペースとは何か?

ようするに、コワーキングはもともとは場所に根付かないイベント(Jelly! と呼ばれました)として発生したものであり、その実体はコミュニティにある、ということです。

コワーキングスペースとシェアオフィスの違い by 深沢 幸治郎 https://suikoudesign.com/suikolog/coworking/2209

半分すごく賛成で、半分異論ありです。

何が異論か?

それはコミュニティとは何かが書かれていないから、結局、何を言っているのかわかりにくいからです。

コワーキングスペースとはコミュニティだというなら、「コミュニティとは◯◯だ。」「うちのコミュニティは△△だ。」が、ないと体感した人以外はわからないと思います。

だもんで、上にネコワーキングのコミュニティとはどんなものだったのかを、めっちゃ書きました。

コミュニティとは何か?

コミュニティ英語:community):英語で「共同体」を意味する語に由来。同じ地域に居住して利害を共にし、政治経済風俗などにおいて深く結びついている人々の集まり(社会)のこと(地域共同体)。日本語では「地域共同体」が「地域社会」をも意味し得うるため、転じて国際的な連帯やインターネット上の集まりなども「共同体」あるいは「コミュニティ」と呼ばれる。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%B1%E5%90%8C%E4%BD%93

さて、コミュニティって何ですか?

 コワーキングスペース運営者にかぎらず、コミュニティと言って、それぞれの人が想像するものが、ぜんぜん違うなぁと思います。

コミュニティの必要条件は何か?

コミュニティ=共同体とするならば、共同体は何を持ってそう呼ばれるのか?

1.リソースを共有している

2.共(Common)である。それぞれのリソースがGive & Give & Give され、共全体のために使われる。

「補足:リソースの移動方法」

公(Public):収奪(税金)と再分配(福祉政策、補助金などなど)

私(Private):市場を介した直接取り引き(売買など)

コミュニティとは何かと言われれば、私は上記のように答えます。

これは創造的な場の研究をしている法政大学の長岡先生の受け売りです。

そして、コワーキングスペースはコミュニティがあるから良いのではなく、

コミュニティが良いコワーキングスペースが良い場所だね」と言われていくべきだと思っています。

コワーキングスペースの原初的な定義にそっているかどうか、そもそもコワーキングスペースと名乗るかどうかはどうでもいいんじゃないかなと。

どんなリソースが共有化され、そこからどんなモノが生まれるかがコミュニティそのもの価値を決めると思っています。

そして、そこで勝負してほしい。

コワーキングスペースはコミュニティ形態の最先端ではなくなった。
(もともと先端ではなかったかもしれない。)

コ・リビング、拡張家族、地域コミュニティの再生など、

コミュニティには色々な形態があります。

コワーキングスペースが始まった頃はコミュニティとしての最先端な雰囲気がありました。

しかし、現在はより多様で色々なコミュニティがあります。

ちなみに、

日本初のコワーキングスペース「カフーツ」の伊藤さんはこの辺をウォッチし続けてまた広めている。それもすごい。再度新たなるコンセプトの伝道者をやっている。 https://goo.gl/n2MMED

特にこちらの下3つはスゴイです。

同居人だったり、家族だったり、小さな小さな村だったり。

かなり濃いコミュニティを形成し、その中で新しいものがたくさん出ています。

様々なコミュニティを見たり、参加したり、運営したり、していました。

しかし、私にはこんなコミュニティがつくれません。

完敗です。

打ちひしがられました。

だから、私はもうコミュニティ運営のプロとして頑張ろうとは思っていません。

もっと自分を活かした違うことで、人類に貢献したいなぁと思っています。

だって、私完全に勝てないですもの。

渋ハウス

「渋家(シブハウス)」は、2008年に制作された「美術作品」。メンバーは年齢や職業を問わず、生活や活動も固定されない。毎月末に「渋家ホームパーティ」を開催しているほか、地下にある多目的部屋•クヌギで継続的に音楽イベントや映像上映会を行っている。

http://shibuhouse.com/

Cift

生活も仕事も共有し自室も隣人に解放する渋谷キャスト「Cift」——“拡張家族”という理想を求める29歳https://www.businessinsider.jp/post-100517

西粟倉村

森の学校 http://morinogakko.jp/

日本の田舎の問題はきちんと資本主義が定着していないことだ。

http://daisukemaki.jugem.jp/?eid=1

「コワーキングスペースとは何か?」を気にしているのはコワーキングスペース運営者か、それを相手にした商売している人だけ。

この議論に参加するのも、興味をもつのもコワーキングスペース運営者ばかりだと思っています。

外の人が入りづらいし、興味もないし、外部の意見を積極的に取り入れようとしているとも思えません。

それで、コミュニティが発展するのか?

コミュニティの色々な実験が進むのか?

コワーキングスペースといいう言葉が、「閉鎖的な残念なコミュニティ」の代名詞になってほしくないなぁと思っています。

コワーキングスペースに関わって得たものあるいは、

コミュニティのメリット

コワーキングスペースに関わることによって得たものは、かなり膨大にあります。

活動が広がった、稼げるようになった、メンタルヘルスが改善した、メンタルヘルスの状態が悪かった人達が変わっていった、成長できた、師匠がたくさんできた、人生の使命が出来た、仲間が増えた、

ここでは、それが何故起こるのかを、少し抽象度の高く見てみます。

暗黙知が共有される

暗黙知とは、文章やマニュアルなどでは共有することの出来ない知のこと。

一緒にいることでしか伝承されないものはあります。

弱い紐帯が形成される

自分の関心領域とは違うつながりが出来ます。

新規事業づくりや、転職など新しい活動をする時に、これらがあると非常にスムーズに進みます。

イントラパーソナルダイバシティが広がり・深まる

イントラパーソナルダイバシティとは、個人内の多様性です。

例えば、一人の人が、「医者 / 3Dクリエイター / 車椅子生活」を全て行っている時、その人の中にイントラパーソナルダイバシティがあると言えます。

これを持っていれば、ストレスに強くなり、新しいものも作りやすくなります。

上記のような事が得られるので、そういうコミュニティのあるコワーキングスペースを活用している人は、活躍しやすいのではないか?と思っています。

その影響を一番受けるのは実はコワーキングスペースオーナーかもしれません。

実際に知っている事例は下記の通り。

コワーキングスペース運営から活動を広げている人達

私が黎明期の出身なので、事例として知っているのは黎明期の人達ばかりですが、ご容赦を。

佐谷さん

シャルソン

(そもそもパクチーハウスからの発展でPAX Coworking )

http://cialthon.at/

西村さん

十日町ギルドハウス

http://niigata-repo.com/life/post-7701/

中川さん

パラフト → SEKAI.WORK

http://thebridge.jp/2017/11/sekai-work-alpha-version

白坂さん

JellyJellyCafe (コワーキングスペース→ボードゲームカフェ)

http://jellyjellycafe.com/

コミュニティから得られるメリットの最大化方法

コミュニティの本質は「リソースの共有 /give & give & give」です。

そして、これによって得られるものは「暗黙知」「弱い紐帯」「イントラパーソナルダイバシティ」です。

得られるモノの中身・内容は「いる人達によって規定」されます。

得られるモノの強さは「共有リソースの行き来ししやすさ(≒いる人達の信頼関係の強さと、自身のコミュニティからの評価)に比例します。」

何かを成し遂げたい or 得たいものがあるという人は、上記のものを意識してコミュニティ内で活動すると良いと思います。ただ、そう言われても難しいと思いますので、興味ある人が多かったらまた別にその話をするか、カードゲームで学べるようにします。

これから

この春に、会社名を「株式会社小石川」から「株式会社遭遇設計」に変えました。

分野横断的な仕事を多くしていたので広瀬に何が頼めるかわかりづらいと言われていましたが、今はそれらの共通項が見つかったのでそちらを名乗ることにしました。

私たちは、人が望む人生を得るために変わっていくことをサポートしたい

そのために、他人や、コンテンツや、その人自身の深い部分と出会わせる。人が変わる出会いをたくさん作るという意味を込めて「遭遇設計」としました。

これからは人材育成により特化していきます。

私達は、出会わせるための環境づくりが得意です。

コワーキングスペースにおいては、人と人が出逢うためのコミュニティマネージャーを配置したり、交流のイベントなどを行います。

ほかにも、カードゲームによって暗黙知を共有するための環境(=道場)の召喚や、知見をお持ちの方(=東京大学の教授など)の疑似召喚を行えるようにしています。

カウンセリングの極意 

https://bodoge.hoobby.net/games/cognitive-behavioral-therapy

Let’s Play Innovation!! 

https://bodoge.hoobby.net/games/lets-play-innovation/reviews/5182

また「ワーク・シフトラボ」というスクールを1月にスタートさせます。 

http://so-guu.com/work-shift-lab00/ 

私がコワーキングスペース運営に関わって得たものを、凝縮して得られるようにします。

興味ある方はぜひ、来てください。

そしてここから、少しずつ私達の取り組みが明らかになっていくと思います。

よろしければ今後共どうぞよろしくお願いします。

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